「平成」元号から新元号「令和」の改元を迎え

2019年5月1日の改元を迎え

2019年5月1日を持ちまして元号「平成」が終焉、新元号「令和」の時代を迎える事になりました。私としては人生に於いて、2回目の改元となります。

 

これで私自身、「昭和」「平成」「令和」の3時代を生きる事になります。

私が子供の頃、「明治」「大正」「昭和」を生き抜いた方が周りにいますと、長く生きられた方だと思われ

何か尊敬の眼差しで見つめたものでした。

 

とうとう自分の同じ様に、3時代を生きるのかと思えば、何かしら感慨深いものがあります。昭和を生きたと申しましたが、昭和の後半を生きただけであり、今の人生の大半は、平成の御代に過ごした者になります。

ですから今回の改元は人生で2度目の体験となります。

 

前回の改元の時は、正直殆ど記憶がないと言えるかもしれません。

記憶にあるとすれば、昭和最後の前年より「昭和天皇」が御体調を崩され、世の中の多くが自粛ムードだった記憶があります。

自粛ムードで昭和最後の正月を迎えた記憶が僅か乍、残っているでしょうか。それだけ31年前という時間の経過、人間の記憶の曖昧さが自覚されます。

 

昭和天皇のご崩御が伝わった後、各民放TV・NHKが同じ映像を何度も放映していたのを記憶している方も多いと思います。

私自身、初めは古い貴重な映像だと思って見ていましたが、何度も繰り返されていた為、次第に見飽きてしまった記憶があります。

 

当時は携帯・ネット・You Tube・Twitter・SNS等なく、TV・ラジオの報道は、ご崩御一色でした。その為、当時レンタルビデオ屋さんがやたら繁盛したと、後から指摘されたのを記憶しています。(今ではビデオという響きすら、懐かしく聞こえます)

 

当時の私の記憶を掘り起こし述べた為、昭和の最後の日に自分が何をしていたのか、全く記憶にありません。皆様は如何でしょうか。

ご年配の方でしたら、記憶があるかもしれません。やはり前回の改元時、私自身若いと言う事もあり、改元というものの意義が理解できなかったのかもしれません。

 

しかし今回は違います。それなりに人として長く生き、社会経験も積み、漸く改元の意義が理解できる歳となりました。暦・元号というものは、日本人が「日本」という国を改めて意識させるものと理解できました。

 


元号の意義

色々意見もあるでしょうが、やはり元号が日本人というものを意識させる存在と思われます。他の国を見て同じ様に、ユダヤは「ユダヤ暦」、アラブは「ヒジュラ暦」、インドは「サカ暦・ヒンドゥー暦」など、数え上げれば切りがありません。

西暦に統一しょうと言う意見もありますが、西暦はキリスト教徒の暦ですので、やはり各国の文化・伝統を尊重するのであれば、日本独自の元号の存在は残して欲しいと思います。

 

証拠として4月1日の新元号発表時、あれだけ一斉にマスコミ、国民が注目した事は近年あったでしょうか。おそらくなかったと思います。無意識ですが、潜在的に日本人の心の中の琴線に触れる何かがあったのだと思います。

新元号が発表され幾分時間が経ち、由来意味などがマスコミ・ネット上に溢れ、今更解説はしませんが、改めて元来使われた元号の意義を考えたいと思い、今迄の使われてきた元号を見直してみました。

 

元号の始まりはご存知の通り、「大化」です。あの「大化の改新」で有名な大化です。

あえて説明するまでもないと思います。大化をもって元号の初めとします。記録では大化は5年間の治世でした。

 

次になれば、もう私の様な凡人は分かりません。

「白雉(はくち)650~655年」だそうです。これも5年間で終わってます。

次は「朱鳥(しゅちょう)686~695年」だそうです。

何故か前元号から空白があるのか分かりません。大昔で記録・資料も少なく、採用されて間もない為、色々な政治事情が絡み、まだ元号の採用の政策が不安定な時代だったのかもしれません。

 

後は有名な元号、例えば「和同」「大宝」「延暦」等々、日本史で勉強した出来事に関連した元号ぐらいでしょうか。私の知る元号と言えば。

因みに今回の「令和」で248番目の元号だそうです。あくまで現時点の段階ですが。

現時点と言いましたのは、先程の様に空白期間があったり、後から記録・資料が出てきて、幻の元号が発見される可能性も無きにしも非ずだからです。

 

流石に248個の元号を眺めていますと、先程申し上げました3時代を生きたという意識も、長い歴史で見れば、なんとも僅かな期間に見えても仕方がありません。

それだけ長い歴史の中では、一人の人間が小さな存在に見えてきます。何故かしきりに、その様な気持ちが湧きました。

この様にとりとめなく眺めていますと、面白い発見もあります。例えば短い期間で終わってしまった元号など。(資料により、若干の違いがあります)

 

例えば僅か一年で終わっている元号を挙げてみますと、

天応(てんおう)  : 781年 ~  782年
永祚(えいそ)   : 989年 ~  990年
天承(てんしょう) :1131年 ~ 1132年
永治(えいじ)   :1141年 ~ 1142年
天養(てんよう)  :1144年 ~ 1145年
平治(へいじ)   :1159年 ~ 1160年
永暦(えいりゃく) :1160年 ~ 1161年
養和(ようわ)   :1181年 ~ 1182年
元暦(げんりゃく) :1184年 ~ 1185年
建永(けんえい)  :1206年 ~ 1207年
元仁(げんにん)  :1224年 ~ 1225年
貞永(じょうえい) :1232年 ~ 1233年
天福(てんぷく)  :1234年 ~ 1235年
文暦(ぶんりゃく) :1235年 ~ 1236年
暦仁(りゃくにん) :1238年 ~ 1239年
延応(えんおう)  :1240年 ~ 1241年
康元(こうげん)  :1256年 ~ 1257年
正元(しょうげん) :1260年 ~ 1261年
乾元(けんげん)  :1302年 ~ 1303年
応長(おうちょう) :1311年 ~ 1312年
正慶(しょうけい) :1332年 ~ 1333年 (北朝暦)
康安(こうあん)  :1361年 ~ 1362年 (北朝暦)
康応(こうおう)  :1380年 ~ 1381年 (北朝暦)
正長(しょうちょう):1428年 ~ 1429年
文正(ぶんしょう) :1466年 ~ 1467年
万延(まんえん)  :1860年 ~ 1861年
元治(げんじ)   :1864年 ~ 1865年
 
※「一世一元」となったのは明治からです。
 

計27個もあります。更に2,3年で終了した元号も数えれば、切りがありません。

今でこそ一世一元ですが昔は、時の権力者の都合、戦乱、災害、飢饉などに因り、しばし改元が行われていました。

縁起担ぎの意味もあったようです。

しかし現在のメディア状況と違い、当時マスコミなど存在せず、国民には殆ど知れ渡っていなかったかもしれませんが。

 

更に詳しくみますと、興味深い事実が浮かび上がります。

平治、貞永、正長、など日本史の授業で習いました。そうですこの元号は、平治の乱、貞永式目(御成敗式目)正長の土一揆に繋がります。

平治~永暦などは有名な平家時代「平清盛」、全盛期と重なります。

まさに時の権力者、戦乱などで改元が行われている証拠です。

 

世の中、政情不安の際、改元が行われたとも言えるでしょう。

鎌倉時代の貞永~天福~文暦(1232~1235年)などは一年毎に改元しています。

調べましたらやはり、天変地異・飢饉などが発生。改元に至った流れとおもわれます。

 

承久の乱(1221年)後の政情不安も影響しているかと思います。

1400年以降~あまり一年の改元が見当たらなくなり、400年後の激動の幕末期に2回程行われ、「元治」を最後に以後は見当たりません。

前述した2,3年で終了した元号を見ましても「安和」「建武」「嘉吉」「明暦」「慶応」なども歴史的な出来事に深く関わっていると言えるでしょう。

 

とくに印象的なのが、「保元」「平治」前後の年号がほぼ2、3年で改元されている点です。

いうまでもなく源平の争いに関わります。

 

この時代、徐々に奈良・平安時代の貴族が勢力を失い、武家が台頭してくる時期に当たります。

王朝文化・貴族社会が衰えた時代とも言えるでしょうか。

武家の台頭を許したのは、実は貴族が自分達の権力争いに武家を利用し、次第に武家に権力を取られたといって良いかもしれません。

これ以後、武家が力を持ち江戸時代が終了するまでの700年以上、日本を支配します。

 


 

朝廷と暦の関係

武家の支配で思い出しましたが、以前ブログにて織田信長暗殺の件を話しました。

信長暗殺でも暦が関わっている事を、ご存知でしょうか。

 

前回は言及しませんでしたが、信長は本能寺で暗殺される寸前、暦の件で朝廷側と揉めていた経緯があります。

信長は朝廷に改暦を迫っていました。公家「勧修寺晴豊」の日記にて明確に記されています。

昔は太陰暦を採用して「閏月」があり、一年は13ヶ月でした。

要するに当時は、月の満ち欠けで一ヶ月としていました。

 

信長は

「12月の終わりに無理やり閏月を入れろ」

と主張していた様です。

更に現在つかわれている「京暦」を、関東で使われている「三島暦」に変更するよう要請していました。

三島暦とは「三島大社」が作っていた暦です。

 

太陰暦
月は約14日で満ち欠けする。因って約28日で一か月として計算。現在のカレンダー、手帳などに書かれてある、2週間毎に変わる節気と呼ばれるものはこれを基本にしている。「春分」「夏至」「秋分」「冬至」等は此処から由来。地方により農業等は未だに、陰暦の方が適していると言われている。

 

信長の改暦の強要も、暗殺に影響したのではないかと言われています。

暦は管理は律令制が確立した頃から、陰陽寮の陰陽頭の管理下にあり、元来「土御門家」が担当していました。

あまりに突拍子もないと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが古今東西、暦と云うものは常に、歴代の権力者・統治者が創るものと相場が決まっています。

最初に挙げた他国の暦も然り。西暦も元を正せば、ローマ教皇が制定したもの。その事実を考えれば、自ずと納得がいくと思います。

 

普段とりわけ意識はしていないが、実は暦とは国の象徴と言えるかもしれません。

因って今回の改元で新元号の発表を国民の皆が注目。祝賀の運びに、殆ど疑問を感じないのだと思われます。

 

日本の象徴はやはり、天皇家になるのでしょう。

日本の歴史教科書を見ても必ず、歴代天皇、歴代元号が明記されています。

小学校は分かりませんが、高校の日本史教科書では最終箇所、付録などの年表に明記されている筈です。

 

日本の歴史書、古文書、史料などの保管もやはり、古くから存在している家にしかないと思われます。

日本で一番古い家と云えば。やはり天皇家でしょう。

その証明として、世界各国から要人が参加。即位の礼が行われます。つまり世界各国も認めているという事になります。

 

今回の改元を機に歴代の元号を見つめれば、元号の背景から様々な歴史的事実が浮かび上がります。

改めて元号の意義を、深く理解できたのかもしれません。

今回を好機として、改めて新元号「令和」の意義を、自分なり深く考えてみたいと思います。

 

最後に

本日の改元に伴い、私なりに元号に関する思いを述べさせて頂きました。

「平成」の御代が終わりを告げ、新しい御代となりました。これを機に私を含め、皆様がご健勝、ご発展ができる様、お祈り申し上げます。

皆様にとりまして、良い御代でありますように。

私としては3時代目になりますので、もしかすれば最後の元号になるかもしれません。

その事実を深く噛みしめ、令和の御代を生きたいと思います。皆様に幸あれと願いながら。

 

(文中敬称略)