ここ数年で増えた、ストリートピアノについて

先日ネットニュースを見て、目に付いた記事があった。

今回紹介する話は、ここ数年で増えたストリートピアノについて。

ストリートピアノの意味が分からない方もいるかもしれませんが、説明も含め述べたい。

※当ブログは3月24日付で書いたものです。

 

そもそも、ストリートピアノとは

6年程前であろうか。全国各地の駅や空港、商業施設などのオープンスペースでピアノが設置された。

設置されたのは、誰もが自由にピアノを弾き、身近に感じ、楽しむ事が目的。

設置されたコンセプトは良いが、今回、何が問題になったのか。

それは設置された場所と、運営側のコメントに問題があった為。

次章で簡単に説明したい。

 

今回、物議を醸しだした理由とは

今回ネットで問題になったのは、ピアノを設置した運営者が、利用者に対し公式Xである注意喚起した事に始まる。

運営者の発言を簡単に纏めれば、

ピアノを利用する際、練習となる行為は止めて下さい。設置された場所はフードコートにある為、下手な演奏を聴かされたお客様からクレームが来た為、ピアノを撤収しなければならない状況です。家で練習して頂き、上手くなってから、此方に来て弾いて下さい。人に聞いて頂けるようになってこそ、「音楽」であり、独りよがりな演奏は「苦音」です。

若干、言葉は違うが、大体こんなニュアンスだと思う。

 

さて、運営側の公式発表を見て、皆様は如何思われたでしょうか。

人間それぞれ立場が違えば、考え方も違います。様々な意見があると思います。

あくまでも私の考えですが、撤去すればよいのではないか、になります。

理由は後述しますが、結局運営側の思惑の違いと、一部の不快に思う人がいる為、撤去した方が良いと私は判断しました。

次にストリートピアノの意義を述べたいと思います。

 

ストリートピアノの本来の意義は

今回は結論を先に述べる前に、私が体験した出来事を述べたいと思います。

私は5,6年程前、YouTubeでストリートピアノの動画に興味を持ち、幾つかのサイトを視聴していました。

視聴した動画のサイト運営者は、主にアマチュア。つまり素人の方ばかりでした。

 

何故ストリートピアノの演奏者が素人ばかりかと言えば、プロであれば演奏会を開き、お金を稼ぐ事ができる為。

因って、1円にもならないYouTubeに動画をupする必要はない。プライドも許さなかったと思います。

プロであるが故、お金を払って自分の演奏を聴きに来て下さる人がいる為、態々無料の演奏を公開する必要はありません。

 

才能の切り売りは、プロのプライドが許さない。もし私がプロのピアニストであれば、そう思います。

或る意味、プロとアマの棲み分けが出来ていたと云う事になるでしょうか。

 

私はアマの方が必死で、ストリートピアノで演奏される動画に何か心を打たれた。

当時のストリートピアノは駅構内、空港の待合室、鄙びた地方の駅などに設置され、時間待ちの方、通りすがりの方がふと足を止め、暫く演奏を聴きいる姿に興味をそそられた。

つまり演奏者、現場で立ち止まり聴き入る人、そして視聴者の三者三様で楽しめた。

私は、これが本来のストリートピアノの在り方だと思う。

 

処が5年程前だろうか。

おそらくコロナの影響で活躍の場をなくしたプロのような方が、次々とストリートピアノに参入した。

今迄、ストリートピアノに見向きもしなかったプロが参加するようになった結果、何が起こったか。

演奏の質が上がり、まるでストリートピアノが、各演奏者のコンテスト会場のようになってしまった。

その影響からアマチュアは締め出され、視聴者の目が肥え(耳が肥え?)、求める演奏のレベルが高くなった。

今迄、お金を出さなければ聴けなかったプロの演奏が、タダ同然で聴けるようになった。

確かに良い事かもしれないが、それは本来のストリートピアノの趣旨とは外れてしまったと思う。

 

前述したがアマの演奏は、演奏者、その場にいた人、視聴者が一体となり、

文字通り 「音を楽しむ 」事ができた。

 

一方、プロの演奏は上手いが、此方が何か聴かされていると云うような感覚になった。

プロなら、当然だが。楽しむと言う訳でない。聴き入るといった方が的確かもしれない。

此れが、プロとアマの感覚の違いだと思う。次章では、私が体験した不快な出来事を述べたい。

 

ストリートピアノで体験した不快

前章ではストリートピアノの、プロとアマの違いを述べた。

次にプロが参加した為、私が経験した不快な出来事を述べたい。

 

前章で私は嘗てYouTube動画で、ストリートピアノ映像に関心があった事を述べた。

今でもそうだが、YouTubeでは或る動画を観ればAIが働き、それに関連したお勧め動画が出現する。

私はお勧めに従い、ストリートピアノ関連の動画を視聴した。

演奏者は、どうやらプロの方のようでした。過去動画や経歴を観れば、音大卒の現役のプロでした。

敢えて名前は出しませんが、その方の動画を何本か視聴した。

 

視聴後、私は感想をコメントした。内容は、決して演奏の評価ではなかった。

ただ単に素晴らしい演奏の聴かせて頂いた感謝の意と、今後日本でストリートピアノが発展する事を願う内容だった。

そのプロの方もなかなか律儀な人で、全てのコメントに返信するような人でした。

有難い事に、私にも返信が来ました。私は返信コメントを読み、再度返信コメントを書きました。

 

処がその途中で、横槍が入りました。

私とプロのやり取りの最中、全く関係のない第三者からコメントが寄せられました。

第三者の正体を明かせば、昔からそのプロの方の熱烈なファンで、年齢は当時で推定60才過ぎの男性。

要するに私とプロとのやり取りが気に食わず、会話に割り込み、私の言葉尻を捕らえ、私を非難し始めた。

内容を明記するのも馬鹿らしい為、割愛しますが。簡単に言えば、邪魔をしたと云う事。

 

汚い言葉で言えば、「お前は新参者だから、黙ってろ」というニュアンスだった。

プロも古参のファンで以前から知り合いだった為、途中から私とのやり取りはそっちのけで、コアのファンを宥め始めた。

私のコメント欄だったが、私は既に蚊帳の外となり、即座にコメントを削除。その人の視聴を止めた。

其の後、二度とサイトに訪れていない。今はどうなったのかも知らない。

 

つまりプロも古参のファンも、ファンに対し順位制をつけている事がハッキリした。

ファンの間にも、何か序列ようなものが存在しているのも分かった。

要するに、サイト中で順位制をつけ区別。

閉鎖的な空間を作り、気に食わない人間は排除しているのが理解できた。

 

実は今回紹介した出来事は、此れが初めてでない。他のストリートピアノの動画でも似た経験をした。

アマのコメントでは全く無かったが、プロにコメントした時、何かコアなファンから非難のコメントが来た。

此れは本当に特徴的だった。

 

理由は何かと考えた時、私に否定的なコメントを寄越した人は、おそらくお金を出してもそのプロの演奏会に行く人だと思う。

私はたまたまYouTubeで、その人の映像を観ただけ。おそらく気に入っても、お金を出してまで行かない。

 それ程、入れ込んでない 。つまり、狂信的なファン。その違いだと思う。

 

結論

長々と私の経験を交え、今回の物議を検証したが、結局私の云いたい事は

本来ストリートピアノの目的は、数多くの方に音楽に親しんで頂く為ではなかったのかと。

多くの人が音楽に触れる事で裾野が広がり、音楽業界の発展に繋がるのではないかと思う。

 

くり返すが、ストリートピアノは文字通り、多くの人が「音を楽しむ」と云うのが本来の目的。

因って、「上手い、下手は関係ない」。

上手い演奏を聴きたければ、お金を出してお気に入りの人の演奏会に行けばよい。

 

YouTubeで映像を観ていた頃、初めてピアノに触れた、お子さんもいた。

その映像を観て、何か微笑ましいものを感じた。此れが本来の姿だと思う。

今迄、全く音楽(ピアノ)に興味がなかった人に、興味を持ってもらう。

此れが一番大切。但し、一定のマナーを守ればとの条件は付くが。

 

野球に譬えれば、分かり易い。

アマチュア野球には小中学、高校、草野球等が存在する。

決してプロでなくてもプレイヤー、観客、視聴者として野球を楽しめる。

社会人やプロ野球にも醍醐味はあるが、プレーは一部の限られた人しかできない。

アマチュア野球であれば、少し頑張れば楽しめる機会が多く存在する。

ストリートピアノも同じだと思う。要は、楽しみ方の違い。

 

上記の事を考えた時、運営側が発表したコメントは、何かズレているような気がする。

そもそも、 何故そんな場所にピアノを設置したのか 

ピアノを設置すれば、不特定多数の人が演奏するのは当たり前。当然、演奏の優劣は存在する。

運営側のコメントを見た時、演奏の上手な人だけが来て、演奏すると思ったのだろうか。

設置場所がフードコートだった為、不快に感じた人からクレームが来たとの事だが、

 果たして、設置場所が適切だったのか 

フードコートに設置せず、人があまり集まらない場所に設置すれば良かっただけではないか。

 

クレームが来た為、撤去せざるを得ない状況です。ですから下手な人は演奏しないで下さい。

上手い人だけ弾いて下さい。下手な人の演奏は他人にとり「苦音」で、上手になり初めて「音楽」です。

とまで、言い切ってしまった。

 

此れは完全に演奏する人を峻別しているとしか思えない。

繰り返すが、此れはストリートピアノの本来の意義とは、甚だ懸け離れたもの。

言葉は婉曲だが、 「上手い人だけ弾いて下さい、下手な人は弾かないで下さい」 と宣言したに等しい。

演奏をする人の敷居を高くしているとしか思えない。

こう云われれば、あまり上手くない人は、今後来れないと思う。

 

運営側は上手な人に無料で演奏して貰い、フードコートの人に楽しんで貰おうという狙いだったのではないか。

そう思われても仕方がない。公式のコメントを見る限り。

もし最初からそれが狙いであれば、参加者を選抜して予約制にするか、プロの方を雇い、演奏して貰えばよい。

何故なら、諄いが誰もが参加できるという、ストリートピアノ本来の意義とは、ほど遠い為。

 

更に云えば、もし家にピアノがあれば、余程の事がない限り、態々ストリートピアノを弾きに来る事はない。

たまたま時間がある時、気分が向いた時など、ピアノがあった場合、弾くかもしれないが。

又、その人本人が承認欲求が強ければ、弾きに来るかもしれない。

おそらく家にピアノがある人は、態々手間暇かけて、ストリートピアノを弾きに来ないだろう。

 

結局、運営側の思惑が外れたと云えるのではないだろうか。

思惑と述べたが、明確に言えば、

あわよくば、無料で上手い演奏が聴けるスポットにしたかったのかもしれない。

 

今回の記事を見て、全国各地でストリートピアノの設置場所は増えたが、

中には、本来のストリートピアノの意義から懸け離れた場所に設置されたピアノがあるのではないか、

と認識できたのは収穫だった。

 

(文中敬称略)

 

(令和7年3月25日付)

早速、運営側の動きがありました。結果を云えば、ピアノは撤去するとの事。

おそらくあまり批判が多すぎて、慌てて撤去を決めたのでしょうか。

理由はおそらく、上記に述べた通りだと思います。明らかに運営側の失敗。

 

元々運営側のストリートピアノの本来の趣旨が違っていたのが原因。

更に設置場所に問題があった。

実はヤフコメで似た様なコメントをしましたが、その時(前日)はコメントに対し、賛成の意見が多かった。

処が撤去が決まった後、同じコメントを書き込んだ際、今度は返信等に批判の意見が多くなった。

 

過去のブログでも述べましたが、此れがSNSの不思議さと怖さ。

前日のコメントに比べ、撤去が決まった後のコメントに、何故批判の意見が多くなったのか。

推測するのに、後者はおそらく関係者。

或いは、本来のストリートピアノの趣旨とは、懸け離れた人間の感覚だと思います。

 

此れが私が何時も述べている、本当に世の中には色々な考えの持ち主がいる。

譬えそれが間違っていても民主主義では、その意見を尊重しなければならない。

それが大切。決して、排除してはならないと云う事。

その意識を今回、改めて認識させてくれた。

世の中には、100%賛成という事はないと、改めて認識させられた貴重な記事だった。

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